1990年代のアメリカのアンダーグラウンドミュージックシーン、特にアセンズ(ニューヨーク州)で活動したオルタナティブロックバンド。実験的な音楽性と独特のアプローチで知られ、当時のインディーロックシーンに大きな影響を与えた存在。ノイズやコラージュ的な音楽表現を通じて、従来の音楽の文脈を解体し、新しい表現の可能性を追求したグループ。
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自分で作った荘厳なテープコラージュを流しながら、それとは全く関係ない文脈でフォークソングを奏でていると、文脈がコンフリクトを起こす。今までそのコンフリクトを楽しんできた好事家の俺だが、それが当事者になると話は別。うるさい。邪魔。その邪魔なノイズと、鷹揚な歌唱と、両の人格でパフォーマンスを行うというのは、精神的な負担になる。 実際、演奏を始めると、手も足も頭も口も指も耳も、何もかもが自分とは別のところにあって、俺という主観とは別のところで別個に蠢いているような、そんな不気味な気配に支配された。最後の方は三週間ぐらい、必死に準備してきたものが、最終的には50点ぐらいの出来で終わったなあ、と思う。でも、今までソロパフォーマンスやる時と比較して、3倍ぐらい頑張って準備したので、ギリギリ成立していたかなと思う。そんなライブが終了しました。
若いもんの中に紛れて演奏する怖さ、みたいなものをひしひしと感じていたんですが、いざイベントが始まってしまえば、吉祥寺NEPOという場所の良さ(鳴りも良いし、酒も美味い)や、人の良さ(スタッフや共演者)もあって、なんか親戚のおじさんのような気分で気持ちよく鑑賞して、いつの間にか出番。俺は、1990年代アセンズシーンにおけるSupreme Dicks的なポジションを積極的に狙いに行こうと思っていたのだが、終演後若人たちが、「何?どういう意味?」って顔しながらみな寄ってきてくれたので、滑り出し快調って思った。10年前から相互フォローだったtamuraryoさんとも初めて顔合わせ出来たし、なんかみんなちゃんとしてるしナイスガイズだし、信じ難いほど楽しい夜でした。来てくれたみなさん、ありがとう、気持ち的にホント救われた。
妻はまた実家に帰り、今日からしばらくワンオペ子育て生活に戻る。ライブが終わったら一日自分を甘や かすことに決めていたので、『ドラえもんのどら焼き屋さん物語』を購入し、むすこが引くほどプレイしていた。